お構いなしに淡々と
ままならないこと、自分がコントロールできないこと、につながっていたい。自分の生身の体の感覚を感じたい。そんなことを思って畑をしている。
人によっては、それは山に登ることだったり、サーフィンだったりヨガだったり、子どもがいる人なら日々子どもとの生活だったりするかもしれない。今の私には、たまたま畑がある。
この時期は、緑がモクモクと勢力を広げ、1週間前とはガラリと景色が変わる。
こないだは麦が成長しているのを発見した。
去年11月末に種を蒔いた。適期も少し過ぎているし、しばらく様子を見ていても発芽していないようだから、すっかり諦めていた。穂が出たから初めて気がついた。当時の恋人が、種が余ったからと私にくれた。なんだかセンチメンタルな気分になる。そんな私の表層的な気分なんかお構いなしに、麦は麦の命を淡々と営んでいる。その様子に、私は勝手に慰められる。
周りの旺盛な草の勢いに負けず、逞しい。
誤って刈ってしまった穂を持って帰り、ビンに挿した。
命を絶たれたはずの麦の穂はさらにふくらみ、今、花を咲かせている。
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もどかしさは喜び
この間の記事から、もう少し書いてみる。
見えないものを見えるカタチに。
言葉にならないものを言葉に。
表現されたものが、ほんとうに表現したいものであるかどうかは
自分の胸のうちをじっと見なければ分からない。
そして、どれだけ微細に感じることができるか。
それは、心を開いていなければ感じられない。
自分の身の回りに起こる事柄に、心を開いて心を振るわせること。
そうすると、起こっている事柄は、色彩ゆたかで新鮮なものであることに気づく。
もどかしく感じるのは、なんとかしてそれを表現したいと切望するから。
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もどかしさが原動力
「デザインや日常について気づいたこと、考えたことを言葉にする」というテーマで言葉を綴っている。
どうしてそれを始めたか。
私はグラフィックデザインを仕事としている。
ビジュアルによって伝える、ということ。
言葉が不得手と思っていたから、意識的に言葉にすることをしていこうと、そういう意図で始めた。
けれど、この2つの行為は、やっていくうちに、とても似ていることに気づく。
というか、同じことをしている。
見えないものを、見えるカタチに表そうとすること。
言葉にならないものを、言葉を使って表そうとすること。
何か、自分の中の奥のほうに確かにあることは分かっている。
それを、どうしたらより正確に表現できるか、もどかしく感じる。
もどかしさが、私を駆り立てる。
だから、じっと静かに見る。
今まで綴った言葉
そういうふうにできている
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レモンのマフィン
<材料>マフィンカップ5〜6個分
- 元種 50g
- 塩 小さじ1/2
- 砂糖 大さじ2
- 卵 1個
- 牛乳 75ml
- 小麦粉(薄力粉) 150g
- 溶かしバター 30gぐらい
- レモンの砂糖煮(みじん切り) 大さじ1ぐらい
- レモンの輪切り(飾り用)
<作り方>
- 元種をこまかくちぎり、小麦粉大さじ2・塩・砂糖・卵・牛乳とよく混ぜる。
- 残りの小麦粉を加え混ぜ、溶かしバターを入れて混ぜる。
- 常温で室内に放置(一次発酵)。細かい気泡ができてくるので、ゴムベラで混ぜてガスを抜く。
- レモンの砂糖煮を加え混ぜ、カップの6分目まで入れて二次発酵へ。
- カップの9分目くらいまで膨らんだらレモンの輪切りをのせてオーブンへ。170度20分。
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元種というのは、パンの種。
小麦粉に水を加えてこねた生地に、空気中の野生酵母が落下し、生活を始めると、気泡が立って発酵する。これを種継ぎしていくと、いい香りのパン種に育っていく。
これは4年もの。ホントにい〜い香り。芳醇なお酒のような香りで、ついくんくんしてしまう。
小麦と水だけで発酵するということ、それを調理したものが多くの国で主食になっていること、発酵したものの味や香りを好ましいと感じること、それが体にいいこと。
「そういうふうにできている」
美味しい。好ましい。美しい。
そう感じられるものは「そういうふうにできている」の中にいるように思う。
当たり前であり神秘であり。スッキリと理にかなっていて。
Amazon:「水と小麦だけのパン種でつくる酵母パン」林 弘子(アスペクト)